「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を見て【ネタバレあり】

まず、筆者はブログなど書いた経験が皆無であることをご了承願いたい。

 

そして内容は完全にネタバレを含む形になることを了承していただける方のみ読んでいただきたいと思う。

 

演者さんについて

 正直なことを言えば、私はあまり俳優として活躍されていて知名度がある方がアニメで声を当てることについていい印象を抱いているわけではない。上手い方は上手いが、そうでない方が多いのはジブリなどの作品を見ていれば感じることだ。

 しかし、今回の作品はそうではなかったし、使い方が製作陣はとても上手なんだと感じた。この作品は一言で言ってしまえば「少年が大人になる話」だと思う。

 まず主人公である典道とその友人の祐介。この二人は物語開始当初から一緒にいることが多いが、非常に対称的なキャラクターだった。それはキャラデザにもでており、髪型や身長も彼らは違う。一見、少年のような面影を残す典道だがその行動はどこか冷静だ。その点祐介は非常に感情的なキャラクターだった。所謂主人公らしいキャラクターなのはどちらかと言えば祐介のようにも思えるが、そこが今回は「子供っぽい」と判断できる材料になるのだろう。

 なずなはこの二人を見たときになぜ典道の方が好きだと思ったかと言えば、私はここにあると思う。典道の方が大人びているのだ。そして、なずなはこの二人よりも大人っぽい。

 あくまで想像だが、これがプールでの競争なのではないかと思う。なずなは二人よりも遥かに速かった。先を行っていた。典道くんが勝つと思っていたのだ。

 じゃあなずなは大人なのかと言えば、私はそうは思わない。プールでの一件。競争することでお願いを聞いてもらう。これはどこか子供っぽいと思う。正直にストレートに花火大会に誘ってしまえばいいのに。まだなずなも大人にはなりきれていないのだ。この歳の男女は女性の方が遥かに大人びている印象がある。そんななずなに憧れを抱く二人だし、そこを意識してしまうなずななのだ。

 

 さて、ここで本題の演者さんの話をしよう。広瀬すずさんも菅田将暉さんも本当に演技が素晴らしかった。正直想像以上だった。広瀬すずさんの演じたなずなは率直に言って色っぽかった。男子中学生を誘惑してくるようなそんな声だった。そこがまた今回のなずなというキャラクターに合っていたと思うし、違和感なく聞いていることができた。

 正直キャスティングという意味ですごいと思ったのは男性陣だ。菅田将暉さんの演じる典道は中学生にしては少々声も低く、最初は少しどうかとは思った。しかし、前述した通り典道は祐介に比べて大人っぽいキャラクターなのだ。これでいい。大人っぽくていいんだ。

 そして、その大人っぽい典道を引き立たせるのが祐介だ。一見すると大人のように見えるキャラクターを子供らしく演じるのはこれは難しいことなんだと私は思う。これはさすが声の演技を長年して来たプロである宮野真守さんさすがだと私は思った。

宮野さんのあの演技があったからこそ、この二人の関係性はより強調され、わかりやすいものになっていたのだと思う。

 今回の作品を見て思ったのは、俳優さんたちも声をあてることに関して以前よりも真剣にやってくれるようになったのかなと、そう感じたことだった。これはすごく嬉しいことだし、これからも是非見ていきたいと思う。そして、きちんと配役を考えてそれぞれの演者さんたちがもつ力をうまく活かそうとする製作陣はすごいと思ったのだった。

 

作画について

 私はこれまで「ひだまりスケッチ」や「魔法少女まどかマギカ」「さよなら絶望先生」「物語シリーズ」などなど、シャフトさんの作って来られた作品を多く見て来た。だから、見る前から作画に関しては全く心配せずに見に行くことができた。ただ、今回の作品はやはり昨年ヒットした「君の名は。」を少なくとも意識して制作されらんだとは思う。まどマギ物語シリーズのようなどこか現実感のない背景ではなく、リアリティがある美しい景色が広がっていた。でもこれは君の名は。とは違う理由でそうしてるんだと個人的には思う。

 「君の名は。」は「アニメーションで現実世界よりも美しい、現実よりリアリティのある世界」を描こうとしたんだと思う。あの作品の醍醐味の一つは風景の美しさにあったと思うのだ。世間でそのような作品が評価された、という事実をきちんと確認しながらも、今回の作品はそれとは違う理由で美しさを描いたと思う。それはこの作品のテーマ「もしも」にあるだろう。

 劇団イヌカレーさんの演出や、物語シリーズに多く使われる現実味のない建物や空の色の描写を今回使用すると、一気に現実感がなくなるのだ。この作品において現実感がない空間は「もしも」の世界でしかないのだ。その「もしも」の世界もより現実味があるからこそ、典道は現実に帰ることを拒む。この作品において、現実と虚構は「花火の形」でのみしか判断できないのだ。

 だからこそよりリアルに描く必要性があったのなら、これは素晴らしい演出ではないだろうか。シャフトはあくまで「アニメーションで何ができるか」を追求してくれた気がする。「アニメーションでどれだけリアルな虚構な世界を描けるか。どれだけアニメでアニメにしかできないことを描写できるか」。

 私が思い出すシャフト作品での虚構の世界と言えば、「魔女の世界」だ。特に「魔法少女まどかマギカ 新編 叛逆の物語」でのほむらの結界の中はその代表例だと思う。しかし、今回劇団イヌカレーさんによる露骨な描写もなく、その他の人物が描かれないなどということもなく、あくまで自然な形で虚構を描き続けたように思う。最後はドーム状の世界が現れるが、それまでも登場人物たちの花火に対する考え方などからなんとなく虚構の世界であることは示唆されている。ある意味シャフトらしくないのだけれども、それでもきちんとシャフトの作る新たな虚構の世界が出来上がっていたと感じた。

 世間で何が評価されてるのかを認識した上で、それでも自分たちがあくまで得意なフィールドで勝負を仕掛けて来た気がする。

とってもシャフトらしいし、私は好きな表現だった。

 

 そして、いつもどおりのシャフトの表現も多く見られた。朝のシーンは、「白い鳥が大量に羽ばたきながら飛び立ち」「学校の鐘が大きく響き渡り」「学校の中の螺旋階段」が描かれる。とてもシャフトらしい。

 そしてシャフトは傷物語での劇場経験をものすごく今回の作品に活かせたんだなと思う。傷物語は我々が待ち望んでただけあって、正直ものすごく刺々しい表現だったと思う。それが好きな人たち向けな作品だったからだ。今回のは傷物語で挑戦して得た技術を今度は磨いて柔らかくした感じだった。常に新しいことに挑戦し、その次に活かしているんだなと。

 作画というか、キャラデザというか、残念だったと思う点が二つ。

それは序盤の自転車のシーンがなぜかCGで、CGであることはいいのだが、他のシーンが素晴らしかった分、ものすごく浮いてしまっていたこと。

 それと、なずなのキャラデザがやはり「戦場ヶ原ひたぎ」に似てしまっていたことだ。何年も物語シリーズを見て来た私にとってはあのデザインは戦場ヶ原さんを思い出させてしまう。なずなの「大人っぽく、謎がありそうな、色っぽい、悩みを抱える思春期の女の子」としてはすごくいいデザインなのだが、それでももう少し髪の色を変えるとか・・・それだけは残念だった。序盤は特に脳内で斎藤千和さんの声で何度か再生されてしまったものだ。

 

 全体的な内容について

 内容も上記のように多く語ってしまった感はあるが、一応確認しつつ感想をまとめようと思う。

 まず、なずなについて。彼女はまだ少し子供な部分を残しているが作中に登場する同級生の中では一番大人びているキャラクターだった。しかし、母の再婚により現在の生活を続けられなくなったことを悲観している。いくら大人びていても、大人に逆らうことはできないのだ。そこから誰か救い出してくれる王子様はいないのか探していたような気がした。中盤彼女はお姫様の格好をして踊っていたところからそう思った。

 彼女が浴衣からワンピースに着替えた時、彼女は大人になる決意をしたのだろう。とても美しく、とても危険な雰囲気を醸し出していた。

 彼女の母はおそらく子供を自身の所有物かなにかと勘違いしているタイプの親だろう。そして娘が何を考えているのか理解できていない。理解する気もない。再婚相手との関係を悪くする邪魔な存在とも思っているかもしれない。多分、再婚相手のことも本当は全く理解できていないのだと思う。

 そして再婚相手は、まず彼を演じているのが三木眞一郎さんな時点でだいぶ怪しいキャラクターなのだが(笑)、典道に手をあげるシーンがある時点で、彼は父親にはなれない人物だと思う。今後なずなは少なくともいいように扱われないのだろう。

 

 祐介はある意味現実的なキャラクターで、彼の台詞からその世界の花火の形を推測することもできたくらいだった。しかし、感情的な面も多く見られとても子供っぽい描写が多々見られた。彼もまた、大人に逆らうことができずに悩んでいる少年なのだろう。

 

 そして典道。彼は大人になれたのだろうか。

 

 「もしも」あの時あの行動をしていたら・・・。誰もが一度は思うことだと思う。後悔先に立たず、そんなことを考えても仕方がない、そう言い聞かせて人は大人になる。あの「もしも」の世界は決して典道一人の「もしも」ではなかったのではないかと私は思う。珠は最後とても大きくなっていた。各々の「もしも」がたくさん込められていたのはそのあとの描写からも明白だ。珠と花火、とても対称的なこの二つのもの。あなたはどちらの方が美しいと感じただろうか。

 子供の頃、我々は自分のいる世界の外など知らない。なずなと典道が電車に乗り外に出ようとしたのは何も故郷である町を出るという意味だけではないのだと思う。彼らは子供である自分たちがよく知る世界に別れを告げ、外の世界へ行こうとしていたのではないだろうか。

 大人になる覚悟がどこかまだできていなかった典道は途中何度も失敗する。その度に珠に願うことでもしもの世界を作り出していった。あと一歩踏み出せずにいたのだ。

 最後のシーン。典道は教室にいなかった。

「おいかわ なずな」は呼ばれることがなかったので、おそらく元の世界の通り転校したのだろう。では、典道はなぜ教室にいなかったのか。

 なずなに「次はいつ会えるか」そう問われた典道。元の世界のなずなは覚えていないだろう。けれど、夏を終え彼は少し大人になったのだと私は思う。

 今度こそ「もしも」ではなく、一歩踏み出し、町を飛び出し、現実でなずなに会いに行ったのではないだろうか。

 

 これは「大人になりたい少女と大人になれなかった少年」のお話だと思う。

 

 打ち上げ花火は丸く見えるのだ。

 彼らは横から花火を見たかった。

 でも、どうだっただろうか

 

花火は、下から見る方が美しかったと

私はそう思う。